虫眼鏡でそぞろ歩く世界

鴨長明の「方丈記」を読んで思い出すのは、子供の頃2軒隣に住んでいたお爺さんのことです。

モルタルが塗られた四角くてシンプル極まりない小さな平家に住んでいて、いつ見ても日の当たる場所にじっと座っていたお爺さん。

浴衣のような着物を着て、白髪のロン毛。

誰かと口をきいた姿を見た記憶はありません。

傍らには裁縫箱があって針仕事をしたり、虫眼鏡で何かを凝視していました。

僕は時折その家にそっとしのびこんで、屋上に上ったり、物陰からおじいさんをじっと見ていました。

 

今読んでいる安藤雅信さんの著書「どっちつかずのものづくり」のなかにこんな一節があります。

日常茶飯事が修行となる禅から派生している茶事について『茶事の流れが自然に振る舞えるようになると邪念が消えていき、

五感すべてが研ぎ澄まされ、小さな体験が大きなことのように感じられるようになる』

さらに安藤さんは『茶事を分解していくと、その中に空間芸術・時間芸術・コンセプチュアルアートという、現代美術と似た様々な要素を見つけることができる』とつづけます。

茶室という、余計なものが一切ない研ぎ澄まされた空間で味わう小さな体験。

その小さな体験を構成する要素を分解してひとつひとつ観察する眼。

方丈記と安藤さんのおっしゃる茶事が、子供の頃に見た近所のお爺さんの裁縫仕事with虫眼鏡とオーバーラップして見えました。

 

小さな世界。

虫眼鏡でそぞろ歩く、自分だけの世界。

どの分野にも、小さな世界や視点はあり、それを丁寧に観察している先人がいます。

それぞれのフィールドで、どんなふうに小さな世界とコミットし、味わっていたのか。

古物における小さな世界に取り憑かれてしまった僕にとって、それはみちしるべ。

南方熊楠パイセンも、岡倉天心パイセンも、サイ・トゥオンブリーパイセンも、フランク・ブレットシュナイダーパイセンも、小さな世界の視点を持っていて大変興味深いのです。

難しいことは置いといて、それぞれの残してくれたものから、小さな世界の歩き方だけを抽出して楽しんでいます。

僕が先輩の仕事からトリミングしたマニアックな部分の話はまた今度。

 

@24iro @nijiiro7