2019.02.12 Tuesday
無機質な音と有機的な余白
できるだけ小さな音や少ない音数で作られた音楽をミニマルミュージックと呼ぶそうです。
近頃、こういった音の少ないものをイヤホンで聞きながら各種の業務をこなしています。
ミニマルミュージックの歴史は1960年代のアメリカに遡ります。
同じ頃美術界で起こったミニマルアートになぞらえて呼ばれるようになったという説が有力なようです。
アメリカのミニマルアートは日本で「もの派」という日本美術界において重要な流れを生みました。
「ただ単なる音を味わう音楽もおもろいな」
「これはレコ発ライブとかするんやろか?レコードと全く同じ演奏をするタイプの曲とは違うんちゃう?」
「でもジョン・ケージはやってたな。あれは蓋を開けて閉まるまでが作品だからか・・・」
「ミニマルアートと、もの派の違いってなんやろう」
「似ているけど明らかに違うと思うなあ→一言で言うと何だろう」
「極限までそぎ落とされた最小限の表現ってかっこええな」
「でも、見え方によっては値打ちこいてるようにも感じちゃうな」
「知れば知るほど、はじめ感じた冷たい印象がなくなってきたぞ」
作業をしながら、そんなことに思いを巡らせています。
それぞれに通底するキーワードは余白だという気がします。
受け手が関われる余白。
作品が無機質だとしても、それを聞いたり見たり触れたりする僕たちに残されている余白は無機質ではなく、むしろ有機的なものではないでしょうか。
浮かんでくるたくさんのクエスチョンマークを浮かべたままにしておく心地よさも、有機的な余白そのものではないのかと。
ミニマルアート、その中心人物、李禹煥(リー・ウーファン)は、自身の創作を「常に周囲の環境との関係を探求してきた」とおっしゃっています。
正月に妻といった伊勢の天岩戸。
参拝者が積み上げたと思われる石が光をまとって神々しく見えたことなど重ね合わせてみました。
小さく単純な”もの”は、大きなランドスケープと静かに確かに繋がっているようで・・・。
BGM : Roel Meelkop 「From How On」
李禹煥(リー・ウーファン)